稲庭干温飩の原形が稲庭に伝わり
当家の宗家である稲庭(佐藤)吉左エ門によってその技術が受け継がれ
研究と改良が重ねられ、製法が確立したのは寛文五年(1665年)と言われています。
秋田藩主佐竹侯の御用処となった干温飩の技法は、吉左エ門家の一子相伝、門外不出。
しかし、親から子へ、子から孫へという一子相伝の技が絶えることを心配した吉左エ門によって
特別に二代目佐藤養助に伝授され、当家の創業となるのです。
それは万延元年(1860年)、江戸末期の頃でした。
明治に入り、宮内省より御買上げの栄を賜わる他、多くの賞を受賞しています。
そもそも当家のうどんが県内産の他の品々に先がけて御買上げの栄に浴したのは
当家三代目が当時の元老院議長にして
日本赤十字社の創始者である佐野常民氏と交流した事に始まります。
そして、内国勧業博覧会に出品して以来、宮内省御買上げの栄を賜わる事になるのです。
以降、歴代の養助によって受け継がれたその技は、変わらぬ本物の味を今へと伝えているのです。
材料の選定から出荷前の検品に至るまで
「稲庭干温飩」は手抜きを一切許されない完全なる手作業で作られています。
子から孫へと伝えられ、150年以上守り続けてきた伝統の技が
適度な歯ざわりとつるりとした感触の極上のうまさを醸し出しているのです。
明治時代に宮内省大膳職用度課に
お買い上げいただいた時の帳面
宮内省に稲庭干温飩を上納したということを記す覚え書き(いまでいう納品書)
明治時代に宮内省大膳職用度課に
お買い上げいただいた時の帳面
宮内省に稲庭干温飩を上納したということを記す覚え書き(いまでいう納品書)